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東京家庭裁判所 昭和48年(家)9714号 審判 1973年11月01日

(九七一四号申立人六〇八八号相手方) 畑伸男(仮名)

(九七一四号相手方六〇八八号申立人) 畑茂樹(仮名) 外一名

参加人(扶養権利者) 畑節(仮名)

主文

畑節(扶養権利者)に対し、扶養義務者畑茂樹、同畑伸男は、それぞれ金六万円及び昭和四八年七月から同年一二月までは各月額金九〇〇〇円宛、同四九年一月以降は各月額金一万〇二五〇円宛各月一日限り(但し、弁済期が既に到来した分については一括して)送付して支払うべし。

理由

一  畑茂樹(長男)、畑伸男(次男)、鳩山セイ(長女)は参加人畑節(母親・明治二七年二月一〇日生)の子であつて、畑伸男は昭和四七年六月二〇日参加人の扶養につき調停を申立てたが、同四八年八月一六日調停不成立により、審判に移行した。他方畑茂樹は同年五月一八日参加人の扶養について審判を申立てた。そこで両事件を併合して審判することとする。

二  記録中の家裁調査官の調査によれば次の事実が認められる。

「参加人節(明治二七年二月一〇日生)はもと約一五年程小学校教員をした経歴を有し、現在月額約一万一〇〇〇円程の恩給を受給しているものであるが、昭和三年四月に夫『茂』が死亡し爾後女手で三名の子を養育し、成人させた。長女鳩山セイは旧制高女を卒業し、昭和一四年頃結婚し、現在は専ら主婦の立場にあり(夫は養漁場に勤めている)自分の収入としてはなく、長男畑茂樹は○○高師及び○○△△科大学を卒業して高校教員をしているが、昭和二一年頃妻明子と結婚し、住居に困窮していたが同二八年八月になつて漸く都営住宅に入居することができて、現在に至つているもの、次男畑伸男は○○工業専門学校を卒業し、その後○○電力株式会社に勤務し、この間昭和二七年頃妻妙子と結婚したもので、各地への転勤が多いが、住居の安定を得る必要があつたので思いきつて金五六〇万円程の借入金を加へ約一〇〇〇万円を以て昭和四五年八月頃肩書地に建物と土地を買受けた。昭和二七年末それまで本籍地(新潟県○○市・現○○市)に住んでいた参加人節は上京した。節は長男の茂樹(長男隆・昭和二四年生・がいる)のもとに身を寄せる積りであつたが茂樹方は当時間借り住んでいで同居できなかつたので暫く次男伸男方(○○市所在の社宅)に身を寄せ、翌二八年八月頃茂樹方が都営住宅に入居できると共に、主として同人家族との同居に移つた。この後節は同三六年四月頃まで一と月のうち約二〇日は茂樹方で、残りの一〇日程は伸男方で過し、右三六年四月頃から後は茂樹方の近所で間借りして生活していたが、同四六年秋頃茂樹・伸男・セイらの三名の兄弟姉らの間で参加人の扶養につき紛争を生じ、同年一一月頃から翌四七年四月初までは長女セイ方に寄寓し、同月以降次男伸男方に寄寓した。しかし、節の扶養について右三名の間で折合いがつかず、同四七年六月に本件調停の申立がなされた。」

三  (一) (畑伸男の言い分)

昭和四六年一〇月頃兄茂樹から、それまで同人が母節の面倒をみて来たのだから爾後は伸男と鳩山セイの姉弟で母親の世話をして貰いたいとの申入れがあり、協議の上これをきめることとしてとりあえず節はセイのもとに預けられた。しかし翌四七年四月頃茂樹は節の世話は伸男に任せるといつて、節の引取りを拒否したのでやむをえず伸男が同人を引取つた。しかし茂樹の父畑茂が昭和三年死亡し、茂樹が家督相続し、新潟県○○市にあつた土地建物の権利義務を承継していることでもあり、まず兄の茂樹が母節の世話をして、費用が不足ならば姉と兄弟で分担したい。

(二) (茂樹の言い分)

従前茂樹が主として母節の世話をして来たので、昭和四六年一一月頃鳩山セイと伸男が節を引取ることとなつたもので関係人がそれぞれこれを承諾していたものであつた。翌年春茂樹が節の扶養を拒否したわけではなく、姉と兄弟間の前記協議に基づいて措置すべきことを求めたまでである。そもそも茂樹は戦後住宅のない時代に間借り生活をしていたが、長男であつたため、都営住宅に入居できた機会に母節を引取り爾後一七年間主としてその世話をして来たが、都営住宅は部屋数も少いため満足な夫婦生活もできないのを我慢し苦労を重ねて来た。これに反して弟である伸男は部屋数にも余裕がある社宅で夫婦生活にも満足し、新たに家屋敷も取得し、子も多数もうけるような生活をして来たのだから、この辺でそろそろ母節の世話を引受け、自分(茂樹)に肩代りして貰いたい。伸男が単に母を扶養する費用を分担するだけでは自分も妻(明子)も納得できない。伸男もこれまで自分がなめて来た精神的苦労と同様な若労を分担して貰いたい。それゆえ節を老人ホームに入れて費用だけ分担することには賛成できないのである。なお茂樹の家督相続により本籍地の土地建物を取得しているといつても、建物は古く、現在これを他人に賃貸してあつて、僅少の賃料収入はあるものの、右不動産の管理費に充てれば残余は幾何のものでもなく、母節のための費用に充てるほどのものではない。

(三) (鳩山セイの言い分)

セイは夫鳩山治幸(明治四三年九月生)と○○市で暮らしている。しかしセイ自身が無職で収入はない許りか、夫治幸は現在附近の養漁場に勤めているが、老齢でもあり、健康上の理由から本年限りで退職する予定であつて、そうすると収入もなくなる。夫治幸の言によれば、妻であるセイの母節を養う余裕はなく、殊に節には立派に活躍している二人の息子があるのであるから同人らがまず節を扶養すべきものである、というのであつて、セイ自身としては母親の世話をしたいと考へても夫の意向に反することはできず、自分だけではどうにもならないのである。

四  (判断)

(一)前掲二の事実並びに記録によれば、「(1)節(参加人)は昭和四八年七月に千葉県○○市○○△△番地所在○○荘(老人ホーム)に入所することとなり、翌八月一日同所に入所して生活し、現在に至つて居り、将来もこの生活を継続できる筈である。そして参加人の同所入所については、保証金一〇万円、入所金二万円、寮費月額一万八〇〇〇円を要し、寮費は昭和四九年一月から月額金二万〇五〇〇円に値上げされることとなつている。(2)節はもと小学校教員をしていたことがあり、現在恩給として三ヵ月につき金三万四〇〇〇円位受給している。(3)茂樹は旧○○高等師範学校及び○○△△科大学を卒業し現在○○高校の教頭の職にあり、月収手取額で金一四万円を下らない(他に手当もある)。伸男は旧○○工業専門学校を卒業し、現在○○電力に勤務し、月収手取り額約一七万円を下らない(他に手当もある)。鳩山セイは家庭の主婦で特段の収入はない。」との事実が認められる。そして母節が扶養を必要としていることは明らかであり、長男茂樹、次男伸男はいずれも経済的余力があるものと認められ、その程度について格別の差違があるものと認めるに足りる資料はない。そして母節は昭和四八年七月中になされた契約に基づき翌八月一日から前掲○○荘で暮して居り、ともかくこの生活を納得していることでもあり、諸般の事情に照らして扶養権利者節が同老人ホームで継続して暮らすことが相当であると認められ、茂樹が主張する、伸男において節を引取り世話すべきことを求める要求は現実的でなく、扶養義務者である茂樹と伸男の両名において扶養権利者節に対し扶養料として費用を分担して支払うべきことと定めるのが相当である。そして右分担の額は保証金一〇万円及び入所金二万円及び毎月の寮費として昭和四八年七月分から同年一二月分までの月額金一万八〇〇〇円宛、及び同四九年一月分以降(予定)の月額金二万〇五〇〇円について茂樹と伸男が折半し、これを同義務者らから同権利者に支払わせるのが相当である。節に恩給として月額約一万一〇〇〇円の収入があり、また○○にある建物賃貸料として同地の「おば」が茂樹から委任をうけ保管していたうちから金五万円の送付をうけ節が受領した事実(この事実は記録上認められる)があるが、さして高額のものでもなく、節が同老人ホームにおいて要した職員謝礼金四〇〇〇円、他の入居者との顔合せ費五〇〇〇円(記録上認められる)等の雑費及び小遣いに充てるのが相当であろうと思料され、右扶養料を定めるについて影響あるものと認めも難い。

鳩山セイは無収入で余裕もないと認められるから同人に対しては扶養料の支払を命じない。

(入所料等につき立替があるときは別途その返還がされるべきものである)。

五  よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 長利正己)

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